はじめに
政府が、日本の医療費についてなんとかしたいと考えているなら、若い医師にどのような地域で、どのような研修を受けてもらうかについて真剣に考えた方が良いかもしれません。
医療経済学と医学教育の交差点で、研修環境が若手医師のキャリアと診療行動に永続的な影響を与えるという概念、すなわち「刷り込み(Imprinting)」効果に関する研究が、近年急速に進展しています。特に医療費の適正化が喫緊の課題となる中、この刷り込み効果は、単なる慣習ではなく、公的なGME(卒後医学教育)投資の成果に対するアカウンタビリティを問う重要な論点となっています。
今回は、この分野を牽引するChen、Phillipsらの研究グループによる主要な成果を、発表年順に追いながら、そのストーリーと政策的含意を解説します。
ステップ 1:刷り込み効果の確立 — 広域データが示した永続的な費用パターン (2014年, Chen et al.)
この分野の基礎を築いたのは、2014年に発表されたChenらの研究です。彼らは、Hospital Referral Regions (HRR)という比較的広範な地理的単位(米国に306存在)に焦点を当て、レジデンシー研修が行われたHRRの費用パターンが、その後開業医となった医師がメディケア受給者に提供する診療の支出と関連するかを検証しました。
対象となったのは、1992年から2010年の間にレジデンシー研修を修了した家庭医学医および一般内科医の、全国的に代表性のある無作為サンプルです。費用に関する信頼性の高い推定値を確保するため、40人以上のメディケア(高齢者保険)患者を診療している医師に限定され、最終的に2,851人の医師が特定され、彼らが提供した491,948人のメディケア受益者のケアが分析対象となりました。
費用のカテゴリー化: HRRは、メディケア受益者一人当たりに使用された医療費の分布をもとに、メディケアの受益者数がおおよそ均等に分布するように、低費用、平均費用、高費用の3つのグループに分類。
* HRRは、患者の受療行動と紹介パターンに基づき、ダートマス・アトラスが設定した、米国内の広域な医療地理的単位で、一つのHRRに平均11の病院が含まれています。(日本でいう医療圏のような概念?)
主要な発見:
- 費用の刷り込み効果の存在: 研修地のHRRの費用パターンは、その後の医師の診療費用に強く関連していました。患者や医師の特性を調整した後でも、低費用研修HRRで研修した医師と高費用研修HRRで研修した医師の患者支出の間には、7%の差(95% CI, 2%-12%)が見られました。これは、メディケア受給者一人当たり年間522ドルの差に相当すると推定されました。
- 効果の減衰: この費用行動の刷り込み効果は、研修終了後1~7年の医師において最も大きく29%もの差($2434)がありましたが、16~19年経つと統計的に有意な差はなくなりました。これは、研修中に獲得した行動が、時間が経つにつれて診療環境の影響によって徐々に薄れる可能性を示唆しています。
この研究は、研修が費用行動に影響を与えるという「刷り込み」の可能性を強く示唆しましたが、HRRが広大な地理的単位であるため、結果が研修施設そのものではなく、地域全体の特徴によるものかもしれないという「生態学的誤謬(ecological fallacy)」のリスクが懸念されました。
ステップ 2:より狭い単位での検証 — 費用効果の持続性と「質担保の有無」 (2017年, Phillips et al.)
2017年、Phillipsらは、2014年の研究の限界(地理的範囲の広さ)を克服するため、より狭い地理的単位であるHospital Service Areas (HSA)(米国に3,436存在)を用いて、刷り込み効果の再検証を行いました。
2011年のメディケア請求データと米国医師会マスターファイルを使用した二次的な多層マルチ変数解析です。分析対象となったのは、1992年から2010年の間に研修を修了し、40人以上のメディケア患者を診療していた、全国的に代表性のある3,075人の家庭医および一般内科医です。これらの医師は合計503,109人のメディケア受益者へのケアを提供していました。
*HSAは、患者が特定の病院または病院グループでケアを受けるというパターンに基づいて区切られた、病院サービスに密接に関連する、比較的小さな医療地理的単位。ほとんどのHSAには、研修病院が1つしか存在せず(82.4%、つまり2,830のHSA),また、322のHSA(9.4%)は2つの病院のみ。(イメージとしては研修プログラムを擁する医療機関の診療圏?)HSAレベルでの分析は、ほぼ施設レベル(institutional-level)の評価に近い。
先行研究が費用の「刷り込み」効果に焦点を当てていたのに対し、本研究では以下の要素を追加で評価。
1. 医療の質(Quality Measures): 診療地および研修地のHSAが、4つの糖尿病ケアに関する質指標(HbA1c、LDL、腎症のスクリーニング、眼科検査の受診率)に違いをもたらすか
2. 研修機関の特性(Institutional Characteristics): 研修ボリューム(訓練量)、および卒業生のうち農村地域での診療やプライマリケアに従事する割合といった、研修機関の構造的な特性が費用アウトカムに関連するか
この研究デザインによって、研修環境が医師の費用行動に与える影響を再確認するとともに、その効果が医療の質の向上を伴うものなのか、あるいは機関のどのような特性が低費用な医師を輩出するのか、というより複雑な問いに答えることが可能に。
主要な発見:
- 刷り込み効果の再確認と強さ: HSAレベルでの分析でも、研修地の支出パターンは、医師の将来の診療支出パターンに強く、持続的な刷り込み効果を示すことが確認されました。調整前の年間一人当たりの支出差は、$1,644にも達しました。この結果は、以前のHRR分析と量的に一貫しており、刷り込みの関連性が実在し重要であることを高めました。
- 費用の差と質の不一致: 決定的に重要な点として、Phillipsらは費用行動だけでなく、医療の質についても同時に評価しました。糖尿病ケアに関する4つの質指標について分析した結果、研修HSAの費用カテゴリーとこれらの質指標の間に有意な関係性は見出されませんでした。これは、研修環境による費用パターンの変動が、必ずしも医療の質の向上を伴わないことを示しています。
- 機関の構成要素との関連: また、研修機関の構造的特徴がアウトカムに関連することが示されました。内科医は家庭医よりも高費用HSAで研修する傾向にあった。農村地域での診療を行う卒業生の割合やプライマリケアで診療を行う卒業生の割合が高い研修機関は、結果として低費用な医師を輩出する傾向がありました。
この研究により、GMEにおける費用の刷り込みは、地理的範囲を絞った分析でも確認され、その効果は質とは独立している可能性が高いことが示されました。
ステップ 3:未来への提言 — 刷り込みを「意図的に」活用する連携戦略 (2021年, Phillips et al. Commentary)
刷り込み効果が確立され、その永続性が証明された後、議論は「この強力な力をどう活用するか」という政策提言へと移行します。2021年のPhillipsらによる論説「Purposeful Imprinting in Graduate Medical Education: Opportunities for Partnership」は、刷り込みを「隠れたカリキュラム」として放置するのではなく、意図的(Purposeful)に利用するための戦略を提唱しました。
意図的な刷り込みの戦略的活用:
- 臨床環境の変革: 研修環境は、望ましい行動をモデル化することで、研修医の行動に永続的な影響を与えるため、「診療現場そのものがカリキュラムである“the clinic is the curriculum”」という概念に基づき、臨床環境自体を変革することが求められます。指導医は、刷り込みたい行動や特性を明確に定め、それを強化するような没入的な研修経験を提供する必要があります。
- 規制・認定・認証の連携: 著者らは、この意図的な刷り込みを促進するために、主要なステークホルダー間の連携が必要であると主張しています。
- 認定機関(ACGME): 能力マイルストーンやCLER(臨床学習環境レビュー)プログラムを導入しており、CLERは学習者のアウトカムへの影響への懸念から生まれたものであり、意図的なポジティブな刷り込みのために施設レベルの能力をより意図的に活用できる可能性があります。
- 認証機関: 卒業生の実践行動や能力を訓練後に評価し、その結果をフィードバックループとして研修プログラムの改善に役立てることが重要です。
- 卒後研修資金提供者の関与: メディケア(CMS)はGMEに年間120億ドルを支出していますが、訓練成果を評価したり指示したりする権限を欠いています。また、退役軍人保健局(VHA)も20億ドルを支出していますが、訓練成果の評価はほとんど行っていません。著者らは、資金提供者(HRSA、VHA、CMSなど)が、この刷り込み効果を最大限に活用し、社会が望む成果(低コスト、質の高いケア)を生み出すために、より多くの情報と権限を持つ必要性を強調しています。
結論:どこでどのような研修を受けるかは未来の医療費を決定づける
これら一連の研究は、レジデンシー研修が単に技術を教える場ではなく、医師の生涯にわたる診療スタイル、特に費用行動を定義する強力な文化的・環境的「刷り込み機関」であることを示しています。2014年の研究でその存在が示唆され、2017年の研究でその強さと質の独立性が確認されました。そして2021年の提言は、この強力な力を放置せず、認定、認証、資金提供の三位一体の連携を通じて、価値ベースの医療という目標に合致するよう、意図的に教育環境を設計していく必要性を明確に提示しています。
私たち医療専門職教育に携わる者は、「臨床はカリキュラムである」という事実を深く受け止め、研修医の無意識の行動を形成する現場の文化とシステムを、積極的に変革していく責務を負っていると言えるでしょう。
この記事はNotebook LMとPerplexityの力を借りて作成されていますが、最終的な記事の内容と統一感を含めた確認は著者が行なっています。
出典
Chen C, Petterson S, Phillips R, Bazemore A, Mullan F. “Spending Patterns in Region of Residency Training and Subsequent Expenditures for Care Provided by Practicing Physicians for Medicare Beneficiaries.” JAMA. 2014;312(22):2385-2393. B1
Phillips RL Jr, Petterson S, Bazemore AW, Wingrove P, et al. “The Effects of Training Institution Practice Costs, Quality, and Other Characteristics on Future Physician Practice Spending.” Annals of Family Medicine. 2017;15(2):140-148.
Phillips RL, Holmboe ES, Bazemore AW, George BC. Purposeful Imprinting in Graduate Medical Education: Opportunities for Partnership. Fam Med. 2021;53(7):574-577.
その他の関連論文(研修とその後の診療の関連)
Asch DA, Nicholson S, Srinivas S, Herrin J, Epstein AJ. “Evaluating Obstetrical Residency Programs Using Patient Outcomes.” Obstetrics & Gynecology. 2009;114(4): . PubMed ID: 19773562.
フロリダとニューヨークの出産データを用いて、OB/GYN レジデンシープログラム別に卒業生の分娩における主要母体合併症率を比較し、出身プログラム間で有意な差があることを示した研究です。
フロリダとニューヨークの出産データを用いて、OB/GYN レジデンシープログラム別に卒業生の分娩における主要母体合併症率を比較し、出身プログラム間で有意な差があることを示した研究です。
Sirovich BE, Lipner RS, Johnston M, Holmboe ES. “The Association Between Residency Training and Physicians’ Ability to Practice Conservatively.” JAMA Internal Medicine. 2014;174(10): . PubMed ID: 25179515.
この研究は、米国内科専門医試験(ABIM)のデータを用いて、レジデンシープログラムごとに「検査・治療を控えめに、しかし適切に行う=保守的診療」をどれだけ選択できるかをスコア化し、そのばらつきを評価したものです。
その結果、保守的診療の能力にはプログラム間で大きな差があり、低医療資源地域や低支出環境で研修した医師ほど、過剰医療を避けつつ必要な医療は提供できる “appropriately conservative management” の得点が高いと示されました。
その結果、保守的診療の能力にはプログラム間で大きな差があり、低医療資源地域や低支出環境で研修した医師ほど、過剰医療を避けつつ必要な医療は提供できる “appropriately conservative management” の得点が高いと示されました。
Bansal N, Simmons KD, Epstein AJ, et al. “Using Patient Outcomes to Evaluate General Surgery Residency Program Performance.” JAMA Surgery. 2016;151(2):111‑119.(オンライン公開 2015 年)PubMed ID: 26510131.
Medicare データを用い、外科レジデンシープログラム別に卒業生が執刀した手術の死亡・合併症・在院日数などを比較し、上位三分位プログラム出身医の患者では合併症や長期入院が有意に少ないことを示しています。
Medicare データを用い、外科レジデンシープログラム別に卒業生が執刀した手術の死亡・合併症・在院日数などを比較し、上位三分位プログラム出身医の患者では合併症や長期入院が有意に少ないことを示しています。
Dine CJ, Bellini LM, Diemer G, et al. Assessing correlations of physicians’ practice intensity and certainty during residency training. J Grad Med Educ. 2015;7(4):603-609.
この研究は、7つの内科研修プログラムのレジデント690人に臨床シナリオと性格指標の質問票を実施し、「検査・治療をどれだけ積極的に行うか」という practice intensity(PI)と、その判断への確信度(certainty)を定量化したものです。
解析の結果、PI は主に所属レジデンシープログラムと性別・経験年数により説明され、certainty は主に性格特性と関連し、PI と certainty の相関はほぼゼロであることから、研修環境が実際の診療の“積極度”を形成する一方で、“自信の程度”は別の要因に規定されると結論づけています。



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