はじめに
今読んでもとても重要なので、少し加筆訂正をして整えました(2026/2)。
つまりエントリーを作成した2008.6当時から時代は進んでいないのかもしれません。
本文
Saultz JW. Revolutionary leadership and family medicine education. Fam Med. 2008 Apr;40(4):277-80.
重要なpaperだと思うので,あえて別エントリーで.
何年か前から注目しているOHSUの教授,現在最も熱い北米家庭医療学のリーダーの一人といえるSaultzの論説.
それほど新しいことが書いているわけではないが適切な例やたとえを用いて良くまとめられています.
以下 翻案.
医療パラダイムの限界と革命の必要性
Thomas Kuhnの1962年のThe Structure of Scientific Revolutionという本を引き合いに話が進みます.
Kuhnによるパラダイムの定義は,以下の2つの特徴を含む確立された科学概念です.
- 1)対立する科学活動を信じている人たちを魅力的に引き寄せるだけのこれまでにない新しさをもっていること
- 2)科学者達が引き続きその領域で活動できるだけの十分な未開性を残していること
- そしてそういった科学のパラダイムは既存のパラダイムを置き換えるような対立するパラダイムによってのみ置換され,それをscientific revolutionとKuhnは名付けた.
一方殆どの科学の発展はその理論や概念としての既存のパラダイムの中で積み重ねられた新しい根拠によって生じる.
scientific revolutionは滅多に起こらないが,その際はその変化に巻き込まれた分野は基本的な原理の根本的な変革がおきる.
引用されているKuhnの1962年の著作は、日本語にもなっています

現在の医学のパラダイムは1910年のflexnerに立ち返る.その基本原理のいくつかは(table1)
- a)医学は,科学的方法論に乗っ取ったとき最も効果的である
- b)深い知識と臨床的な専門性が卓越を定義する
- c)専門分化はシステム改善の特徴である
- d)医師は病気を治療する.よって病気の過程(disease process)についての知識が能力を定義する
- e)疾患は毒物,感染,遺伝的な異常など明確な障害によって起きる.因果関係は一対一である
しかし1940年代にはそのパラダイムは既にその問題を見せ始め,1960年代後半から家庭医療はそれらの問題に立ち向かうために作られた.
それらの内の前記(table1)に対応する物として
- a’) 医学の用いる科学的方法はより広義の物であるべき.従来の生理学や生物学に加え,社会科学,行動科学など.
- b’) 卓越の定義には深い知識だけではなく広い知識とのバランスが必要である
- c’) 過度の専門分化は費用増加を生み,アクセスを妨げる.generalismとspcializationはバランスがとれていなければならない
- d’) 医師は,患者と,患者の住む地域を治療する.単に病気を治療するのではない.
- e’) 疾患は環境要因や生活習慣の選択に大きな影響を受ける.因果関係は基本的に複雑である.

しかし家庭医療はこれまでの40年間は他の医師に受け入れられるためだけに従来のflexnerパラダイムの中にこれらを無理矢理適合させようとしてきた.もし我々の目標がアメリカの健康を改善することだけであればそういった妥協もやむを得ないかもしれないが,もし我々の目指すことが,新しいパラダイムの創出であるならば,妥協をしすぎたのではないか.
家庭医療は改善者なのか改革者なのか?
Kuhnはscientific revolutionが生じる時は非連続性で鋭利な変化であるとする.
例を挙げるとニュートン力学から,相対性と量子の物理学へ.つまり基礎にある科学の前提条件の再構成が存在する.(最近で言うとインターネット前とインターネット後、pre AIとpost AIという感じでしょうか)
今アメリカの20世紀の医学がKuhnの定義するrevolutionによって,置換されつつあることを示唆する根拠がいくつもでてきている.それらを引っ張るのが我々ではないのか?
教育システムの再構築
教育に関連して(table2)
1969-2007までの家庭医の教育の前提
- 1)家庭医には知識の深さではなく広さ(包括性)が必要
- 2)病院や他の医学領域から信頼されることは必要
- 3)研修環境は実際の診療現場に似せなければならない
- 4)地域の中での研修が最高の家庭医を生む
- 5)責任感・責任性は継続的な関係の中での医師として振る舞うことで学習される
- 6)経験=能力.質=ケアの過程がよい
現在の研修はこれらの前提が正しければ,今の形がよい.しかし,その前提が正しいとは誰が証明したのか?
この先何十年もこの前提は真実であり続けるのか?
Kuhnによると現在最も幅広く流通しているパラダイムが既に現状にそぐわない物であっても,実行可能で,信頼できる,別の理論が提示されるまでは置換されることはないという.
そういったパラダイムの形成は我々の仕事ではないのか?
Saultzの教育に関する提案(Table3)
現在実践されている家庭医療がdysfunctional(機能していない)ならば現在のモデルをマネした研修環境の整備は無意味である.
- 1′) 包括的な知識の広さ(深さではなく)が家庭医療のチームに必要.現代の非常に膨大な情報世界を生き抜くために洗練された情報テクノロジーが必要
- 2′) 病院や他の医学領域から信頼されることは重要であるが,それらの価値観を追うよりはこちらが引っ張る(lead)べき.
- 3′) 研修環境は実践の継続的な改善を生み出すべき
- 4′) 様々なことを実行する新しいやり方を研究したり,生み出したりすることを学ぶ活動に基づいたinnovation-based educationが最高の家庭医を生む.
- 5′) 責任感・責任性は継続的な関係の中での医師として振る舞うことで学習される.医師は単に疾患だけでなく,患者と集団(population)を治療する
- 6′) 卓越したアウトカム=能力(competence)と質

しかしこれらの提案も正しいかどうかは解らない.どうやったらそれで良いのかが解るのか.
何か新しいことをやったら必ずその効果を検証する.あくまでこれはスタート地点でしかない.
現在のシステム(パラダイム)が問題だとすれば,それを蘇生しようとするのは間違い.修理するのではなく入れ替えなければ.患者さんに現在のシステムがつかえるように手助けをするのではなく,現在のシステムの行き過ぎなところや不足しているところの弊害を受けないように守らなければならない.
scientific revolutionは計画された変化ではない.カオス的で,予想できず,二極的である.
そういった変革を乗り切るには適応性の非常に高いリーダーとチームが必要.(診療所,レジデンシー,大学の全てに置いて)
2種類のリーダーシップ:アーキテクトとビルダー
ここで2種類のリーダーが両方必要といっています.
家を建てる際の建築家(architect)と工務店(builder)にたとえて.

う~ん,今までいわれてきたリーダーとマネージャーの役割分担ではないか.ここはお粗末.
これまでの家庭医療のリーダーはbuilder型が多すぎたとのこと.
両方のリーダー(まあ一人の中に両方のスタイルがバランス良く含まれていても良いのですが)を抱えたレジデンシーチームが以下の4つに注意して進めることが重要と
1)対象とする地域のニーズに真剣に対峙すること
2)対象とするレジデントをよく見て,評価すること.
3)実行する全てのことの結果をを測定し,記録し,分析すること
4)地域の家庭医のニーズをきちんと取り込むこと
(レジデンシープログラムは病院資本のことが多いが,病院のニーズはそれほど気にするな,と)
今回のSTFMのpleanryでも同様のことを協調していましたが,現場で何が上手くいって,何が上手くいかないのかを自分たち自身の改善のために調査(研究というと堅苦しくなるので)をし続けて,現場を良くしていく方法を内包した実践の場.その方法論の教育の重要性を強調していました.
Saultzさんホント強い人だナーと思います.
参考)
“We can’t solve problems by using the same kind of thinking we used when we created them” -Albert Einstein 「私たちは,問題を作り出したときと同じ思考方法を使うことでは,その問題を解決することはできない」アルバート・アインシュタイン
週刊医学界新聞
研究以前のモンダイ
〔 その(14) 〕
アナロジーに基づく一般化
西條剛央 (日本学術振興会研究員)
第14回のみを挙げましたが,このシリーズは骨がありますが,一度考えておく必要があります.名郷先生が最近盛んにいう構成主義も同じラインです.
P.S.これからはいっそうリサーチも頑張ります.
ここまで


コメント
>なるほど、scientific revolutionという概念があることは始めて知りました。それにしても、何となく感じているということと、それを言語化・体系化するということには、こうも隔たりがあるのかと思ってしまいます。
>医療のAuditにしても、質改善のResearchにしても、「いま、何が出来ていないか」に注目しすぎている気がします。で、これが出来ていないから、そこをうまくできるようにするために、新しい概念や方略、システムを投入する。これはまるで、そこに病変があるから、切り取ってしまえ、なくしてしまえという考え方と通じるなと。そうではなくて、良くない所もあるけど、そういう状況でも「これくらいのダメさ加減」で済んでいるってことは、何かいい部分があるはずだという視点があることで、ずいぶん前向きな取り組みになるかと思うのです。前向きに現場をよくしていくほうが、取り組む上でも「心が楽」かなぁと。