はじめに
自分の診療でずっとこだわってやってきていることのひとつに、自分が立ち上がって診察室と待合室を隔てるドアを開けて待合室の中から次の患者さんを見つけてお呼びする。という行動があります。実は自分の施設でも全員がやっていることではないので、僕の外来についた学生さんや研修医の方はカルチャーショックを受ける人がいます。まあ、最初から理由が明確だった訳ではないのですが、なぜそうするのか、という質問に答えようとして、色々理由を考えてみると、8つも見つかったので、まとめておきます。
歩み寄りの気持ち
本来医師が患者さんの自宅や職場へ伺っての診療があるべき姿である(その方が素(す)の状態が見られる)が、様々な制約でそれは難しい,ならば医療機関まで来てくださっている訳なので、せめてもの気持ちとして最後の何歩か、数メートルかは私の方から患者さんのいるところへ歩み寄りたいという少し申し開き的な,言い訳的な。
素の姿を見る
患者さんは医師の前で様々な演技をなさいます(意図的でなくても)。待合室ではそうでもないのに放送で呼び出されて診察室に入ってくる段になってからこれ見よがしに辛そうにはいってくる人、逆に通院の長いよく知った医師が忙しそうなのに気を使って、待合室では横になりたいほど辛いのに、全くそういったそぶりを見せずに気丈に振る舞おうとする人。顔の表情もいろいろな意味で作っている方も多いです。こちらがドアを開けて呼べば、患者さんにとっては不意打ちになるが、素の状態を観察することができるので、貴重な情報が得られるという観点からは、非常に重要なのです。
家族ダイナミクス、家族関係など(同伴者との関係)を見る
たとえ受診は一人だけなのに夫婦で一緒で来られる場合、高齢者の方の足として娘さんや息子さんが一緒に来られる場合、中高生の子どもを親がつれてくる場合など同伴者がいることは多いですが、来ているにもかかわらず、診察室には入ってこない場合が多々あります。診察室のなかから呼び出し放送で呼んでしまっては、この「入ってこない同伴者」の存在があるのかないのか全く見えません。入ってこられないのは、受診者のプライバシーに同伴者が配慮している場合もあれば、同伴者が一緒に入ろうと立ち上がったところを受診者が制して一人で来ようとする場合もあります。またこれまでの別の医師の受診で何らかの良い/悪い体験があってそのような受療行動が形作られている場合などいろいろな理由があると思いますので,無理強いはしませんが、少なくとも同伴者が入ってこようとしない場合「一緒にいかがですか」と提案はするようにしています。ドアを開けて呼び入れたときに受診者と同伴者がとる行動でその二人の関係がどのようなものか少し推し量ることが出来ます。また同伴者が家族とは限りません。友達やそれ以外の大切な人の場合も。これは次項につながります。また、2つ後の、「脚力、歩行を見る」にもつながりますが、高齢者の場合、同伴者の存在はいわゆる「フレイルかどうか」の判断の参考にもなります(一人で受診するのは心配な何らかの理由があるので。歩行が心配、運転や公共交通機関の利用が心配、認知機能が心配、コミュニケーションが心配、など)(最後の文章2025/12に追記)
その他の人間関係を見る
これは,意図しなかった効果。地域密着でやっていますので、私の患者さんを呼び入れようと診察室のドアを開けて待合室を覗くと、今呼び入れようとしている患者さんと,それと数人あとの名字も住所も全く違う僕の患者さんがなかよく雑談している風景を良く見ます。これも必ず呼び入れたあとでどういう関係かお尋ねして、出来るだけ診療録に書き留めておくようにしています。「実はお隣/近所なんです(住所を見ると実際そう)」「遠い親戚なんです」「ダンス教室で一緒だったんです」、70代の方同士で「小学校時代の同級生なんです」などなど。以前50台で娘さんがいるはずのない方が若い女性と同伴で(もちろん診察室へは一緒には入ってこない)、おそるおそる関係を尋ねたら,昔その娘がいろいろと警察のお世話になったりした(かなんかそのような)時に、いろいろと面倒を見てあげたとのこと。まあ医師用の説明かもしれませんが。うちの電子カルテには家族図を実現する機能すらありませんが、近所や幼なじみ、趣味友達などまで把握してこそ家庭医の醍醐味。
脚力、歩行などを見る
高齢者,リハビリに来ている人、ねんざ、腰痛などの回復などの様子が見られる。2つ目の「素の姿を見る」とつながりますが、名前を呼ばれて、座った状態から立ち上がる所にどのぐらいかかるか、診察室に入ってくるまでの歩き方、どのぐらい片足をかばうように歩いているか,無理しているかなど自然に観察することが出来ます。口で「大丈夫」といってても歩き方に出ます。また特に足腰の訴えがなくてもその立ち上がり方や歩き方で虚弱高齢者の転倒リスクを拾い上げて先にリハビリを導入したり(フレイルの可能性の評価)、パーキンソンなどの神経疾患を見つけることもあります。
患者さんへの忠誠(loyalty)を示す
患者満足度につながる。受診するべき医師が制度によって制約されない日本だからこそ、医師としてはずっと自分のところに通ってきてほしいというのはあるはずです。互恵性(何かしてもらったら返したい.give & take)の法則を考えれば、loyaltyが欲しければまずloyaltyを示す。give & takeはgive先にあることには理由があります。1つ目の「歩みより」に関連しますが、普通はそこまでしてくれるドクターはいないので「私の先生はわざわざ呼びにきてくれる」といった特別扱いされている感を与えます。もちろん自分のところに来てくださる患者さんは特別扱いをします。日本中どの医者へ行っても費用負担は同じなのに自分を選んでくださる訳ですから。耳の聞こえない患者さんにも配慮できます。目が合ったところで手招きするだけ。それから、耳が聞こえる方でも僕の診察室のドアが開くと「次は自分かな?」という具合にこちらを見る方が多いので、目が合ったらそのまま名前を呼ばずに「どうぞ」と招き入れることもあります。これは個人認識の上では多少リスクがあるのですが、大病院ではあり得ない「顔パス」の状態を作り出すことで、最高のVIP待遇が提供できていることになります。また、大病院の外来で仕事している人には特にお勧め。両隣は言うに及ばず同じ列の診察室のどのドクターもやっていない状況なら、本当に特別扱いです。他のドクターを待っている患者さんは羨望の目で。私の患者さんは鼻高々です。(まあこれは1つ目の理由と一緒にまとめることができるかもしれません)
その半コマのタイムマネジメントとして
次項につながりますが、その日の予約患者さんがどのくらい既に来て待っているか、新患の患者さんはどんな人か、外来のペースが送れているときに、待ち時間が長くて怒っている人や疲れている人はいないかといったことをさっと確認しています。通常、1時間遅れることはまずないのですが、突発的なことでたくさんの人が既に受付を済ませて待っている状況になったら、患者さんを呼ぶためにドアを開けるとその4−5人(場合によっては7−8人)の既に受付を済ませた患者さんが一斉に「次は自分が呼ばれるのか?」という雰囲気で刺すような視線をくださいます。ですからあまり待ちの人が多い状況になるとその視線が怖くて,放送呼び出しにしてしまいます。つまり、自分の中では予約外来で放送呼び出しをしている時は、その時点でそのコマのタイムマネジメントがうまくいっていない,ということの表れなのです。ですから、いかに放送呼び出しをせずに外来をやり遂げられるか,という自分にとってのプレッシャーとして利用しています。自分の心理状態(余裕があるかないか)を示すバロメータとしても機能しています。「今日も一こま,胸を張って全員直接お迎えできた」というのが自分への勲章。
管理者として
現在は施設の管理者の立場もつとめているので、やはり全体の待ち時間も気にします。現在の施設は診察室が複数あって複数の医師が診療をしていますし、当日飛び込みの患者さんもたくさんいます。その時間帯の待合室がどのぐらい混んでいるか、ぐったりしている人や苦しそうな人,怒っている人などいないか。もちろんこういったあたりは受付、看護師なども気を配ってくれていますが、目が多いにこしたことはありません。
まとめ
直接診察室の外へ出て待合室を見ながら患者さんを呼び出すことで得られる情報量とメリットは計り知れません。
欠点は時間がほんの少しよけいにかかることです。でも一人30秒程度ですから半日で20人なら10分余分にすぎません。10分余分にかけるだけでここに書いただけのメリットと情報量が得られるのですから、しない理由はありません.
例外は上記の様に、自分に余裕がないときと、初診患者さんです。初診患者さんは顔を知らないので探すのが大変なのと,その分声を張り上げないといけないからです。放送呼び出しです。
米国は既に診察室に患者さんが入っていますし,入るときはノックをしてから入りますから、上記の多くのメリットを放棄しています。そこからは「効率」が得られるのですが….
追記 (2025・12に加筆)
本内容についてAIに致命的な抜け落ち、視点はあるか、と尋ねたところ以下のような回答でした。(後述)
そりゃそうだし、それはもっともだけど、その通りにそちらを優先するととても無機質な医療になる訳で、我々は、下記エントリー
にあるように、
医療体験を人間味あふれるものにする才能:A talent for humanizing the health care experience
を最大の特徴の一つとしています。
下記にあるような、現代の医療の最低ラインのところは、もちろん、適宜、臨機応変に考慮しつつ(でも、大病院や自治体立のように、四角四面に建前上あるべき姿を優先するのではなく、それは見据えながらも)意図的に、その逆方向に、寄せられるだけ寄せることに挑む、というところが、我々のやりたいことであり、専門性の一側面であり、差別化戦略でもある、ということで、AIの回答は「はいはいはい」と一応聞いておくレベルにすることとしました。
以下A Iの回答
このブログの8つの理由は、診療プロセス論としては非常に多面的で、致命的な抜け落ちはほとんどありませんが、現代の医療安全・プライバシー・チーム医療の観点から見ると、いくつか補強したい視点があります。
ブログで既に網羅されている視点
本文では、歩み寄り・患者の「素」の姿・家族ダイナミクス・社会的ネットワーク・脚力や歩行観察・医師のモチベーションやタイムマネジメントといった、多くの家庭医療的コア要素が明示的に扱われています。
これらはプロセス・オブ・ケアと患者中心性の観点から見てかなり厚みがあり、「診察室の外に出ること」の教育的・診療的意味づけとしては高い完成度といえます。
抜けている/弱い可能性のある視点
- プライバシー・機微情報への配慮
呼名の仕方や同伴者の有無・関係性を待合で観察することのメリットは述べられますが、「誰と一緒に来ているか/来ていないか」が第三者に可視化されるリスク(DV・性暴力・家族葛藤ケース等)への言及はありません。
たとえば、待合での声かけや視線の向け方が、患者にとって「暴露」の感覚になりうる場面への具体的なリスクマネジメントは補強余地があります。 - 感染対策・医療安全のシステムレベル視点
記事は主に個人医師の実践として書かれており、パンデミック期や院内感染対策上、「診察室⇄待合」を頻回に往復することのリスクや、そのときの標準予防策・動線設計への言及はありません。
また、転倒リスク患者に近づくこと自体は望ましい一方、スタッフ配置や見守り体制とセットで語られていないため、組織的な安全管理の視点がやや弱い印象です。 チーム医療・タスクシフトの観点
「医師が自ら呼びに行くこと」の価値は詳細に論じられていますが、看護師・医療事務・ナビゲーター等との役割分担や、チーム全体としてのフロー最適化への言及はほぼありません。
外来全体のスループットや他職種の負荷・裁量とのバランスをどう取るか、というマイクロシステムデザインの視点は追加しうるポイントです。ユニバーサルデザイン・多様性への配慮
聴覚障害・視覚障害・発達障害・認知症など、さまざまな患者に対して「立ち上がって呼びに行く」方法がどう調整されるべきかは触れられていません。
視線やボディランゲージの解釈が負担となる人への代替手段(ビジュアルコール、番号表示など)をどう組み合わせるか、といった視点も今後の追加候補です。
制度・コンプライアンス的な視点
- 個人情報保護・呼名ポリシーとの整合性
フルネーム呼び上げとの兼ね合いや、番号呼び出しを求める院内規程とのコンフリクトなど、「個人の流儀」と「組織ポリシー」の調整については触れられていません。
このあたりは2020年代以降、個人情報保護・クレーム対応の観点から重要度が増しており、現代版のアップデートでは欠かせない論点になりうると考えられます。
まとめると
診療の質・患者中心性・教育的価値という点では、8つの理由はかなりよく作り込まれており、「致命的」と言える欠落はありません。
一方で、2025年の視点から補うとすれば、プライバシーと安全(感染・転倒等)、チーム医療とタスクシフト、ユニバーサルデザイン、組織的コンプライアンスの4軸が、追加・明示化するとさらにバランスが良くなるポイントと考えられます。
ここまで


コメント
>2年前に現在のクリニックに異動してから、患者さんを呼び入れることをしていませんでした。というのも、以前のクリニックは診察室のドアを開けるとすぐ待合室だったのですが、現在のクリニックは診察室のドアを開けると処置室があり待合室までは8mほどあり、呼びに行くと時間のロスが・・・と思っていたのですが、考えてみれば、わずかな時間です。環境もありますが、何が大切なのかを考えつつ、どういう風に振る舞うか行動指針を立てる必要があるなと思い直しました。ありがとうございました。
>私は総合病院で総合外来を担当していますが,ほとんどが予約外の初診で「飛び込み」です.なので,逆に1st touchのときに迎えに行くようにしています.ただ,ERのwalk-inを間借りしているので,待合から診察室まで10m以上と遠いのが少し難点です.幾つかのメリットは頭にありましたが,ここまでとは思いませんでした.参考になります!
なるほど。
私もたいていは立ちあがって戸をあけて、時によっては廊下を歩いて待合室まで行って呼びに行きますが、ここまでは考えていませんでした。
今後、意識してみます。
PIPCでは、「スクワット」と言っているようです。
なんて素晴らしいDrなのでしょう❣️感動しました。病院難民?してる私はこう言うDrに出逢いたい❣️